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『バー・ラジオのカクテルブック』 2015-04-03

渋谷区神宮前に産まれたバー・ラジオ、その店主の尾崎浩司が、"〈ラジオ〉のカクテルの美しさや楽しさをご覧頂きたくて"作った『バー・ラジオのカクテルブック』(角川文庫)です。下は柴田書店刊の親本。伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』に、「ミモザ」というエッセイがあります。"ヨーロッパの朝食で一番贅沢な飲物は何だと思う?"と問いかけて、"何といっても奢りの頂上は「ミモザ」ということになる"と断言する。「沈痛なバーテンダー」では、マジョルカにあるホテルのバーのバーテンダーの仕事ぶりを緻密に記述し、続く「カクテルに対する偏見」に、"カクテルというものは、味覚と演出とが五分五分くらいに入り混じったものだ"と前置きして、マルティニやギムレットなどのレシピ(とは書いていませんね、なにしろ1965年刊だもの)を紹介する。あまつさえ、"おつまみについて知るところを述べる"と、話はアーティショーとエスカルゴに及ぶのです。

『バー・ラジオのカクテルブック』は、見開き2ページの左右にカクテルの写真、そのあと2ページにエッセイが、交互に出て来ます。カクテルは黒をバックに大きく写っていて、下部にレシピを添える。ミモザは37ページです。
「オレンジ・ジュース…60 ml.、シャンパン…適量。冷やしたオレンジを絞り、グラスに注ぐ。よく冷やしたシャンパンで満たす」。
"花の名をとったミモザは、野をわたるそよ風のようなカクテルだ。冷蔵庫で冷やしておいた新鮮なオレンジをしぼり、よく冷えたシャンパンを静かに注ぐと、グラスいっぱいにミモザの花弁が舞いあがる。シャンパンを味わうというより、オレンジ・ジュースをおいしく飲む方法と考えたほうがよい。これほどぜいたくなオレンジ・ジュースは、ほかに見当たらない"

写真ページのトップを飾るドライ・マーティニ、比重の大きい順に色の違うリキュールの層が重なるプース・カフェ、レモン・スライスとミントの葉をあしらったミント・ジュレップなど、どれも思わず手が出てしまいそうですが、この本の真の主役はグラスでしょう。写真の約半数で、とりわけ豪華さを誇っている素晴らしいグラスは、コレクターから借りた、なんてことは知らなくても、ミモザのグラスには強く惹きつけられるに違いない。ひときわ見事な装飾を施したそれは、高さ40センチほどの、古いヴェネチアングラスで、数百万円もしたという。撮影のしばらく後に、何かの拍子でこわれてしまったとも。

この文庫に小文「わが酒の師ヘミングウェイ」を提供しているオキ・シローは、カクテルや酒場がテーマの掌篇とエッセイの書き手で、著作のひとつ『紳士の酒、淑女のこくてーる』(大栄出版)には「ヘミングウェイとカクテル」という作品があります。文豪のお気に入りをいくつか挙げてゆき、最後に"ヘミングウェイ"を紹介する。創作者の名前に因んだもので、別名は彼のノンフィクションと同じ「午後の死」。アブサンをシャンパンで割るだけのシンプルな処方である。

オキの別の著書によると、ヘミングウェイは、「金があるときはシャンパンに金をつかう。それが金の一番正しいつかいかただ」と言ったそうです。そして、"悪魔の酒"と呼ばれて、一時は製造販売が禁止されたアブサンは、短篇「異郷」に登場する。
「本物のアブサンはあるかい?」と、ロジャーはバーのウェイターに尋ねた。
「本当はあってはならないものですが」ウェイターは答えた。「いくらかはございます」
全文は『異郷』(933/H52)でどうぞ。ICU卒業生の訳です。

『紳士の酒、淑女のこくてーる』は、古谷三敏の酒ウンチクマンガ『BARレモン・ハート』の参考文献にもなっている。「パパ・ドブレで乾杯!」の回はフローズン・ダイキリがテーマだが、ヘミングウェイの愛称"パパ"を冠した別名でも知られるこのカクテルは、クラッシュドアイスを使うため、とても冷たい。ガールフレンドとやって来たトシちゃんは、カッコよく注文するものの、3杯目でダウンと相成ります。オキも、「クーラーのきいた酒場なんかで飲んでいると、ぼくなどは一杯でさえ持て余してしまうほどだ」と言っている。

ふと思ったんですが、『午後の死』第16章に出てくる、「書こうとしていることを作家がよく知っていれば、それを敢えて書かないことで作品により高い効果を付与できる。氷山の動きに威厳があるのは、水面下にあって見えない氷山の八分の七があるからだ」という、有名な "Iceberg Theory" は、案外、グラスに浮いたロックアイスを見ていて考えついたんじゃないか。(引用は『ヘミングウェイ大事典』(R/A933/H52Ytb)より)

『バー・ラジオのカクテルブック』は、"甘いからいやだと、なんとも明快にといおうか、無造作にといおうか、乱暴にといおうか、決めつける人"、"おばあさんの帽子のように派手なデコレーションの乗っかった、ピンクやブルーの飲み物を想像する人"がいると書いている。
吉田健一を"決めつける人"に入れてもよいだろうか。「カクテルの飮み方に就ての心得は至って簡単であって、それはカクテルなどといふものは飮まない方がいいということに盡きる」と書き起こし、まづい洋酒を旨く飮ませる方法なのだから、出来たものは旨いに決まっている、しかし、毒を旨く飮ませれば、飮まされた人間は死ぬ、というのだ。傑作なのはこのあとで、
「福田恆存氏譯の、作者は誰だか覺えてゐない「老人と海」が出た時の記念會で、その場所もどこだったか思ひ出せないが、確かなことは、その時、ドライ・マテニイというカクテルを六杯飮んだこと、或はもつと嚴密に言へば、六杯目を飮み始めたことまでで、それから先の記憶が途切れてゐる。「老人と海」を書いたアメリカの小説家が何といふ名前だつたかも、その六杯のドライ・マテニイを飮んだのが何といふホテルの何階だつたかも覺えてゐないのは、これもこのカクテルのせゐかも知れない」(『吉田健一著作集』(930.8/Y86)第28巻所収の「酒談義」より)。

もちろん、『シェイクスピア』なる著作がある吉田は、『ヘンリー四世』に出てくるフォールスタッフのセリフ、「おれに伜が一千人いようと、人間の守るべき道として第一に教えたいことはこれ一つ、アルコール抜きの飲み物には断じて口をつけるな、強い酒にはわが身をうちこめ、ってことだ」(小田島雄志訳)も承知だったに違いない。『現代世界文學全集26 T.S.エリオット』(908/G34/v.26)では、吉田と福田が翻訳を分担していますが、戯曲「カクテル・パーティー」の担当は、当然のこと、福田です。

『バー・ラジオのカクテルブック』後半部には、オリジナル・カクテルが出揃う。命名は俳優・歌手・映画・音楽などに因んだものが多い。グレタ・ガルボとマリリン・モンローにはさまれているのはフランシス・アルバート、フランク・シナトラの本名です。バーボンとジンで作るが、銘柄が決まっていて、ワイルド・ターキーとタンカレー・ドライ・ジン同量をステアする。「シナトラをつくってみて」という注文で考案されたのだが、ある時、ジャズピアニスト八木正生が、「シナトラというよりフランシス・アルバートって呼びたい感じなのだ」とわめいたので、その名に落ち着いたそうです。

おまけ1:バー・ラジオ
この店は出張したことがあります。場所は原宿ラ・フォーレ。八木が"The Sparkling Hours"と題するコンサートを開いたとき、会場入口ではシャンパンを振る舞い、奥に、バー・ラジオが設けられた。サザンオールスターズの桑田佳祐も加わって、"サテンドール"や"キャラバン"などのエリントン・ナンバーが流れ、メニューには同名のカクテルが並んだというから、たまりませんね。
アルコール中毒の歌手に扮した桑田がスタンダード・ジャズを歌う『夷撫悶汰(いヴもんた)レイト・ショー』は、これが契機になったんでしょうか。八木のライブから15年後のステージで、第1幕と第3幕は、とあるジャズ・カフェが舞台(マスターは小倉久寛、ウェイトレスに川﨑悦子)、第2幕はビッグ・バンドを従えたコンサートという構成です。但し、本家本元に敬意を表したのか遠慮したのか、27曲を熱唱するこのビデオに、モンタンの十八番「枯葉」は出てきません。

今回はオマケ2に続きます。

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