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『GREATEST HITS OF MR. J. J.』vol. 1 2015-01-21

カセットテープからLPレコードへ。『GREATEST HITS OF MR. J. J.』vol. 1です。MR. J. J. とは、以前このシリーズに登場した植草甚一。自らジャケットデザインと選曲(モダンジャズ)を手掛けたこのレコードには、短いインタビューが収録してあり、聞き手を鍵谷幸信が担当している。
植草のことを「先生、先生…」と持ち上げている鍵谷だが、本人も慶応の教授で、日吉で講義を受けた知り合いによれば、授業には数人しか出席していない、教室でレコードをかける(ジャズや現代音楽の評論家でもあった)、試験のときは教室が満席になる、しかも喫煙可など、名物教師として知られていました。

鍵谷は英米文学の、特に詩の研究・翻訳に携わった。西脇順三郎(田村隆一が再婚したときの発起人総代である)に師事し、『西脇順三郎論』(思潮社)、『詩人西脇順三郎』(筑摩書房)などを著し、詩集も何冊か編んでいますが、1970年の『西脇順三郎 : 若い人のための現代詩』(現代教養文庫)は、詩と解説が同じページの上下に並行するスタイルで、かつ、年譜や参考文献も(刊行の時点では)充実した1冊でした。

『現代詩読本9 西脇順三郎』(911.56/N87Ya)には、鍵谷・田村・篠田一士の3人による代表詩30選(満票もあれば、一人だけが推したのもある。長編は収録せず)が載っています。満票は、例えば『Ambarvalia』(『定本西脇順三郎全集』(930.8/N97/1993)第1巻所収)では「天気」、「眼」、「馥郁タル火夫」、「旅人」。

『Ambarvalia』の刊行は昭和8年。卒論をラテン語で執筆し、その後、英文詩集を刊行し、フランス語でも詩作した彼の、初の日本語詩集です。鍵谷は、ある雑誌で西脇の訪問記を読んで師事することに決め、昭和24年に慶応大学に入学すると、渋谷宮益坂上の中村書店で、この詩集を買い求めた(詩集を多く扱っている古書店が今もありますが、あれでしょうか)。「天気」、「雨」と読み進み、「旅人」に至ったとき、
"ぼくはこの詩集の奴隷になっていた。そのショックの強烈さは以来三十年間、いくらかの紆余曲折はあったが、今日に至るも確実に続いている"。

西脇は、大体名前が三文字なのは詩が巧いのが多い、という説を唱えていた。「朔太郎、それに順三郎なんですね」と本人。「いや光太郎、杢太郎、米次郎。作家でも潤一郎…」と鍵谷が受けると、詩人は三文字の作家名をさらに続けたそうです。また、村野四郎のことを、「村野三四郎だと響きがよくなるし、詩もよくなる」とも。しかしその実、人の名前には全く疎かった。

慶応大学を辞するとき、塾長(慶応義塾のトップ)に挨拶に行ったが、名前が分からなくて、
「西脇です。ええと、あの人、あれ、有名な詩人、知恵子抄を書いた人。あの人」
秘書は、すぐには何のことだか分からなかったらしい。
「あれ、あの人ですよ」
「高村塾長ですか」
「そうです。高村光太郎、いや、高村象平さんに西脇が挨拶に来たといって下さい」
とは、随行した鍵谷の目撃談です。

間違え通した場面に居合わせたのは伊藤整で、『伊藤整全集』(913.6/It89)第19巻「稲垣足穂」の項に一部始終を記している。ある雑誌が企画した、西脇と稲垣の対談に召集されたのだが、"カトリック作家と、超現実主義詩人の大学教授と私とでは、雑誌をつぶすための会じゃないか。一番俗物は私だから、私が一番チエがあろうが、私はまた一番後輩だから、神妙にしていた。果然、西脇、稲垣両氏は…語り出した"。
「ニシガキさん、私はよく覚えています。…」
「イタガキさん、私もあなたの作品は日本の新精神を開いたもので、…。イタガキさん…」
"私はこの二人のどちらかが、自分の名前の呼ばれ方の間違いに気がついて、その上機嫌から突然脱落するのではないかと思って、はらはらしていたが、二人ともそういう俗悪な実証的精神は持ち合わさないことが次第に分かった"。

「他人の名前をなかなか覚えないところに西脇の大きな特質があった。というよりも彼は自分自身のことに一番関心があり、他人のことはあまり気にしなかった。ただ他人が自分と関わってくると興味を示し、アンテナを張りめぐらして探知していた」とも鍵谷は言う。
「慶応には学事顧問というのがあって、高橋誠一郎、高村象平、佐藤朔がなっている。ぼくを顧問にしない」
「いや、それも先生が塾長をされていないからですよ。話はかんたんです」
「そんなものかなあ」
「そんなもんですよ。先生には、誰ももてないポエジーの名誉と栄光があるからいいじゃありませんか」
「うん、そうだな」
たしかに、塾長には向いていなかったでしょうね。こんなエピソードも残っている。

文学部長を務めていたあるとき、教授会を招集しました。が当日、本人は三田の図書館の裏で、熱心な趣味である雑草摘み(!?)に没頭していた。やっと見つけた事務員に促されて定刻を過ぎた会議室に入ったが、
「皆さんの顔を見ると、別に話しすることはないみたいですね」
「そうです」
「じゃあ、会議はやめましょう」
「賛成」
あっという間に終わった。受け答えした教授は折口信夫だったそうです。
後年、鍵谷には、こう言った。
「教授会なんて大したことを話すわけでもないしね」

詩人が没した翌年、鍵谷は回想する。
"ぼくのこの詩人に対する敬意と愛情は少しもゆるがなかった。なにをいわれても平気であった。…すべては詩人とぼくとの深い交わりから生まれた人間の情だったと思われる。ぼくの青春は西脇順三郎という傑出した稀有の詩人と共にあったのだ"

1989年、西脇の生地小地谷に近い新潟市美術館では回顧展が予定されていた。同じ年、エッセイ集『雑談の夜明け』が文庫化される(b/Kg/872)。飯島耕一・加藤郁乎・飯田善国の3名が、それぞれ30編ほどを挙げて17編を選んだ。三人ともに選んだもの、二人のもの、また一人がつよく望んだものもなかにはあるというやり方は、『現代詩読本9 西脇順三郎』の、鍵谷・田村・篠田による詩の選択方針を思い出させるが、『雑談の夜明け』編集ノートは、ある訃報で締めくくられる。
「この一月十七日、西脇順三郎にもっとも身近な人であった慶応大学の鍵谷幸信が急逝した。鍵谷氏は展覧会を準備する中心人物であった。その残念さをこめてこの一文を綴ったことを付記したい」。

引用:西脇の詩に生きている鍵谷
………………
酋長のヨコーベのカトーのフジトミの
トマスの酒碗もカギヤのコーラも
たけなわになろうとする宿命の
キザシが釈天にとどろく!
………………
(『壌歌』より)

………………
アイダはムクロジの実をささげ
フクダはエジプトのタバコをささげ
カジノヤは何もささげなかった
………………
(『禮記』より)

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