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東八道路 on my mind (2004年2月16日)

地名を始め、道や通りの名前は誰が何時決めるのか、考えてみれば不思議だ。確かに一人一人が好き勝手な名前で呼んでいると話しが通じないから「公称」が必要になるのだろうが、どういうプロセスを経て名称が全市民に浸透していくものか、研究対象にしたいくらいだ。滑走路はもうマクリーン通りと呼ばれるようになったのか、かつてラバーズレーン(恋人たちの小道!)と呼ばれていた本部棟裏の旧街道は今はなんと呼ばれているのか、とかね。

「30m道路」と言って、今の学生諸君には通じるのだろうか。最近では「東八道路」の名前の方がポピュラーになっているようだ。この道路の正式名称は三鷹3-2-2号線で、1962年の7月に都市計画の決定を受けている。昭和30年代に入ってから急激に増加した多摩地域の人口に対応するために、甲州街道・新青梅街道などの幹線道路が整備されたのと同時期だ。

1962年といえば高度経済成長の只中で、2年後のオリンピックという日本の戦後経済復興のメルクマールに向け皆がしゃかりきに働いていた時代。当然、この道路もオリンピックに間に合わせるつもりだったのだろうけど、立ち退き交渉が上手く運ばなかったり、住民の反対にあったりしたらしく、未だに全計画は完了していない。言うまでも無く「東八」は「東京-八王子」の略で、東は放射5号線(新宿から走ってきた甲州街道から下高井戸で急激とも言える不自然さで中央高速道路とともに分離する幹線道路)と連絡、西は府中市栄町を直進(今は左に急カーブの後甲州街道に合流)、国立-府中インターチェンジ脇を通過、谷保を横切り八王子市高倉へと連絡する予定だ。もっとも最初の案では町田辺りまで通すつもりだったと言う話も聞いた。

普段からクルマに乗り付けているから、渋滞にハマッた時のフラストレーションは良く分るが、東八道路に関しては計画から40年以上も経ってるし、計画地はすでに住宅だらけだし、正直「今さら多少不便でもいいじゃないか」という気がする。

ところで以前から30m道路という割には車道の幅はどう見ても十数メートルなんじゃないかと疑問に思っていたのだが、三鷹市のホームページを見て納得。車道と中央分離帯に加え、その外側の歩道、車道と歩道の間に川の土手のように盛った土で作る植木の緑の帯も加えた総幅が30mになる計画なのでした。

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