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翌檜(アスナロ)(2016年8月10日)

◆ アスナロと聞いてまず何を連想するかで、だいたい歳がばれるね。

◆ これによるとククノッチは60代以上… ちがいますちがいます。まだそこまで行ってません。いやいや、ほら、バブリーな時代に世の中の波に乗れず、巣鴨の風呂なしアパートに蟄居してフリーターやっとったからね。『あすなろ白書』みたいなトレンディードラマ(&漫画)なんぞには全く縁がなかったんだし。

◆ えー、とにかくアスナロっていう木があるのです。ヒマラヤスギに次いでこのコラムお二人目に登場いただく針葉樹です。ヒノキ科アスナロ属の常緑樹。そのほかの針葉樹、スギ・マツ・サワラ・ヒマラヤスギ・コノテガシワなんかに比べるとお目にかかる機会が少ない。わがICUのキャンパス中を歩き回って見つけたのは左の写真の1本のみ。何とショボい姿でしょうか。このように刈り込んでしまっては可哀想になります。体育施設の近くに植えられているのはおそらくその名が「明日はヒノキになろうとしてなれない」に由来するという俗説を「たゆまぬ精進努力の象徴」とポジティブにとらえたからではないかな、と思います。で、この「明日はヒノキ…」の言い伝えを鵜呑みにしてヒノキの方が優れた木なのだと思い込んでいる人が多すぎるですね。翌檜という当て字を真に受けてますね。ケシカランですね。そういう人はおそらくアスナロの木を(ひょっとするとヒノキも)見たことがない人です。今日はアスナロびいきのククノッチが名誉挽回のため本当のところを披瀝して、アスナロさんを弁護したいと思います。

◆ まずは、一度聞いたら忘れられない「アスナロ」という名前の由来について。俗説では上述の通り「明日はヒノキになろう」なんだが、実は一番有力な説はそうではない。古くは「アテヒ」と呼ばれた。アテは高貴を意味する。アテヒは「気品のあるヒノキ」。これがアスヒに転訛。寺島良安『和漢三才図会』にも阿須檜の表記があります。その後、明日を想起させる音から「アスハヒノキ」となり、ヒノキになろうとする姿と見て「アスナロウ」。そして「アスナロ」へと変化したというのです。

◆ そしてこちらも上記俗説から派生したと思われる流言として「アスナロはヒノキに比べ弱いので木材として利用価値が低い」というもの。マチガイです。アスナロ材はヒノキより堅くて建材としてもヒノキよりは上です。あと、高い消炎殺菌作用で知られるヒノキチオール成分も、その名前からヒノキに多く含まれていると思われがちですが、日本のヒノキにはさほど含まれていません。あれれ。1936年に野副鐵男博士がこれを発見したのはタイワンヒノキからで、逆にアスナロには多く含まれており、その抗菌効果は枯死しても芯まで腐らないほど。よく青森ヒバが俎板用材として最高であるといわれますが、あれは北方に分布するアスナロさんの双子の兄弟、ヒノキアスナロのことです。ついでに言っておくと井上靖の『あすなろ物語』のアスナロは彼の故郷の伊豆地方の方言で、実際はアスナロではなくイヌマキのことだそうです。アスナロとはぜんぜん違う木だし、ヒノキにもまったく似てもいないのにヘンですね。

◆ 葉にしたってアスナロはヒノキに劣りませんです。左の写真ががアスナロ、右がヒノキです。まず葉の厚みが違う。ヒノキがサワラ、コノテガシワらほかの針葉樹同様ヘラヘラして頼りないのに比べ、アスナロは厚みがあって葉振りもしっかりしてます(一説にはアスハヒノキは厚葉檜のこととか)気品と風格がありますね。あと何と言っても葉の裏側の気孔帯ですよ。白くなってるところがそれです。檜の情けないY字型に比べてアスナロのは立派でしょ? 気孔ってのは植物の葉にあって水の蒸散とその調節、二酸化炭素と酸素の出入口としての機能をもった器官です。針葉樹には気孔の多い部分がこのように白くなるのです。ああ、集中した気孔のせいでこの部分が白くなるのね(つまり気孔は白いのね)と思ったらブー。白いのは気孔を覆うワックス(蝋成分)ですよ。これが何のためにあるか、気孔が水に濡れないためとか、カビの侵入を防ぐためだとか、過度の水分蒸散を回避するためだとか、諸説ありますが今だにこれだという決定的な理由は証明されていないとのことです。うーん。ククノッチはね、たぶん寒さに関連したなんらかの対策なんじゃないかと思います。勘ね、勘。とにかく立派な建築の話になると総ヒノキとかなんとかいっちゃって、ヒノキばかりが有難がられる傾向はよろしくない。これからはアスナロをもっと評価しましょうよ。ハイ皆さんご一緒に「アスナロ一番、ヒノキは二番! 三時のおやつは福砂屋で」(知らないか…)

◆ ここからは植物の話からはチト脱線するが、冒頭の年齢チェックで出てきた『あすなろ物語』と『あすなろ白書』についてヒトクサリしてみる。井上靖『あすなろ物語』は井上靖の半自伝的青春小説で、伊豆の村にある義理の祖母に預けられていた幼少期から会社勤めの身になってからの主人公の人生をオムニバス的につづったもの。のちに書かれることになる自伝小説三部作『しろばんば』『夏草冬涛(なつくさふゆなみ)』『北の海』へと発展する構想がこの初期作品に見られる。図書館には全集しかなくて少々重いのだが、がんばって持ち歩いて読んでみた。いま改めて読んでみると、いやなんていうか、たしかに自分もこうだったと思わせる純粋で無垢な子供心、激しくてなおかつお馬鹿な恋心。自由と隣り合わせの寂寞とした孤独。この「あるある感」がこれらの作品が長く愛され続ける理由だなと確認しました。ハイ。

◆ ここまで来たら柴門ふみ『あすなろ白書』も読まんといけんのんじゃけ。業務終了後、立川まんがぱーくまで出かけて1時間半で第1巻から3巻まで弾丸読破してみた。1992年の作品。当時ククノッチはすでに就職していて、学生時代には読んでいたビッグコミックスピリッツからも離れていたのでこの漫画もちゃんと読んだことなかったんだけど、ここまでの暴走する乙女心の物語とは知らなかった。「あの人の気持ちが分からない」「アソビなの? 本気なの?」みたいな、イケズ男に振り回されるマゾヒスティックな女の妄想譚ですなあ。あとがきの中で作者は「この作品は描いたというより何かが自分に描かせた」「主人公なるみはその時代の女の子の最大公約数的存在」「批判は多いが、5年後10年後に評価されていることを望む」(大意)と語っているが、どう見ても2016年の恋愛感からはかけはなれているのじゃないかな。ホモセクシャルやレズビアンも脇役として登場させているけど、それに関しての掘り下げもない。まったく家父長的な旧秩序を継承したメロドラマであることが分かった。

◆ それで、ふと思ったんだけど、タイトルの『あすなろ白書』の白書ってどこから来てる? もちろん『経済白書』や『防衛白書』なんかの政府が出版する公的な報告書のことであるわけで、『広辞苑』によればイギリス政府の外交報告書の表紙が白かったためWhitePaperと呼ばれ、日本では1947年の片山内閣以降使用されているとのこと。それはそうなんだけど、『あすなろ白書』の白書は公式報告書の意味で使われたわけではないよね。読者の方もそうは思わない。それなのにどうして政治用語を使ったタイトルを我々がすんなり受け入れられるかと考えたときに、1970年のアメリカンニューシネマの名作『いちご白書』に思い当たるのですね(ゴメンだけど、ククノッチはまだこれ観た事ない)。つまり1970年の時点で、すでに『〇〇白書』というフレーズが、政治用語ではなく映画・文学作品のタイトルとして大衆に受け入れられる素地が出来上がっていたということでしょう。そしてそれはなぜですか。

◆ 答えはすぐに見つかりました。国立国会図書館ウェブページの蔵書検索で「白書」をキーワードに1970年までの文学ジャンルの本を検索した結果をいくつか多少の逡巡と共に披瀝します。

◆ お分かりいただけたでしょうか? 「白書」をタイトルに掲げた本の多くが性愛に関するものでした。映画の方はというと、これはもうとてもここでは披露できませんので、興味のある方は「日本映画データベース」サイトで検索してみてください。とにかく、「白書」には「恋愛や性体験などの個人的な秘密が(多くは衆目に供する意図をもって)書き綴られたもの」という意味があったのですね。この語釈には今までのところどの辞書にもありませんでした。『あすなろ白書』はその意味ではなるほど正しいタイトルだと思いました。

◆ 閑話休題。あれっ? 今気がついたけどショボいICUアスナロの写真、すぐ右横に切り株があるじゃないの。ひょっとしてこれは立派なアスナロの木がなにかの理由で伐採された跡なのか? その形見分けとして挿し木かなにかですぐ脇に植樹されたのかもしれない。そう考えるとこのショボさも納得がいく。誰に訊けば分かるのかな?

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